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本当のことを知りたい
自分の目で見てみたい
だから、空を飛び撮っている
同時に、記録された空間は地域の宝だ
その宝を自分の利益にしている場合じゃねえ!
だから全ての映像を公開することに決めたっ!!
何にも左右されず撮るために
この活動は、
自己資金とサポーターの協力で成り立っています
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背景
はじめは自己満足だった。
そして撮りためていくうちにこの行動はとんでない記録になっていると気がついた。飛行撮影をはじめて10年が経っていた。
そしてこの先、この活動を飯を食うための手段、売り物という枠にとどめることを思うと、違和感を感じていた。また、同時にそうしてきた過去の自分を認めつつも若さを思った。そして詰まるところ、これからもさじ加減をしながらビジネスライクな表現活動をするのはどうなんだ。
心は完全にねじれ、方向性を出せず、撮影活動は完全に止まった。
撮っているのは我々の暮らすこの星の本当の姿じゃないか。いつだって命を張って撮ってんだろ。意味があるから撮って「地域の宝」だって自負してんだろ。だったら撮った映像をくまなく見える形にしろよ。映像の1割納品で、9割近くお蔵入りにして何やってんだ。人が知りたいのは絶景もそうだけど、自分達が暮らす土地のことなんじゃないの? 地球ってみんなのものでしょ。それを撮ってるのに作品とか格好つけてないでさ、映像を一緒に見て、それからの展開が大切なんじゃないの? 撮った映像を肴に地元の人の話を聞く時間が好きだって言ってるじゃん。せっかく自由な翼を手にいれてどこへでも飛んでいけるのに。もう一人の自分が自分にむけて語りかけていた。
40歳をむかえようとしていた。見て見ぬふりをしてきた天空の旅人としての命題を直視し、決断を迫られていた。王道は見えていた。しかし迷いライスワークを優先しバランスを取ろうとする自分がいた。もんもんと過ごし時間を浪費した。いつしか心は閉じ孤立した。年月は容赦なく流れた。
そんななか四国遍路にでた。自分と向き合うために。44歳になっていた。徒歩に野宿で88箇所の寺を一気にめぐる1300キロの旅。その道中、幾度もお接待を受けた。どうして見ず知らずの私にそこまで尽くせるのか。飲食だけではなく、時に一泊の宿も授かった。行者は私だけでは無い。日々あまたの人がこの道を行く。そしてさらに心ある人は言ってくれた。
「ありのままのご自身を見せなさい。全てをさらけ出しなさい。受け止めます。それが遍路です」と。
私は、私の存在を何のフィルターを通すこと無く接してくれた彼らに救われ、涙した。しかし再び歩きはじめると、私は今までわたし自身が作り上げた虚像をとおして人と接していたことに気づき、愕然とし恥じた。私の周りにいた人は遍路に関係なく、いつだって私のことをしっかり受け止めてくれていた……。それにもかかわらず、私は頑なに自己中心的な人間になるべく猛進していた。たとえそれが飛行撮影というハイリスクなパイオニアワークに取り組んでいるにしてもだ。私は完璧に人としての道を逸脱していた。
そして旅が深まるにつれある思いが胸に宿った。人生とは「どれだけ人のために生きられるか」ということか? 思考は加速した。
自分のために飛ぶよりも、みんなのために飛ぶ。
その方が頑張れるし、楽しいんじゃないか!
心は映像の解放、共有へとグンとふれた。今まで囲っていた映像と活動を世にはなち、共有から始まる世界を飛んでいきたい! 心は一片の曇りなく晴れわたり、私は雄叫びを上げながら遍路道を走り抜けていた。
生身の人間が実際に空を飛び、その土地にながれる風を受け営みを感じ、その時の感動と共に撮った映像には意思があり物語がある。この記録を見てもらいたい。そして未来に残したい。
これが私の使命だと悟り、生涯を通じてやると決めた。そして地球をまるっと飛ぶ夢をえがいた。世界中の人を映像で喜ばしたれ! 心は弾みに弾んだ。次の瞬間、あまりのハードルの高さに途方に暮れた。心は再び堂々巡りをしたが、いつも最後には映像を見て喜んでくれる人の顔が見えていた。自分の行動で心ゆたかになれる人達がいた。
己の情熱が必要とされ、役に立つステージはあると確信した。
共有する2017年以前の映像。その80%はビジネスとして撮ったものである。それ以外、それ以降の映像は自己資金で運営している。自分で旗をふり舵をきる。
私はこれから天空の旅人としての道を切り開き詰めていく。予定調和なんてない。最高だぜ!わくわく感満載だ!そして記録した映像は現場から共有する。このアクションから始まる世界をみんなと一緒に望んでみたいのだ。この活動に賛同できるかたからの支援を切に願いたい。
2019年 多胡 光純
遍路 35番清瀧寺へ