2020年10月14日
秋田県鹿角市
熊取平
前田牧場のベースを確保した。これで離発着は万全だ。しかし、熊取平から八甲田をやるには往復70キロを飛ぶことになる。自分で仕掛け、自分で決めたことだ。誰に頼まれたわけでもない。久しぶりだぜ、この得体の知れないゾクゾク感。
モーターパラグライダーをやってる人ならば言うよ。「止めろ」「不時着したら樹海、でてこれないよ」「エスケープないぞ」と。なぜそんなことを言うのか。それはモーターパラグライダーのエンジンは一般の自動車などと異なり、よく止まるからだ。僕が八戸で飛んでる最中にも仲間のエンジンは上空で不調をきたし不時着した。モーターパラグライダーのエンジンはツーストロークだ。バイクや草払機などと同じ簡単なエンジンだ。整備が個人に任せられている故、故障がおおい。そんな背景が在りいろいろと意見をいただく。
それらの意見を俺はいつも真摯に受け止めている。でも、やらないと生きてる意味がない。だから生きて還る対策をして、乗り込んでいく。準備したら思い切りヤルベシでしょ、と。中途半端が一番タチが悪い。
「そこまでやらなくてもいいじゃん。ドローンで撮れるよ」「ドローンとモーターパラの違いはなに?」。もう何万回と聞かされたよ。違いを述べることはできる。しかし、つまるところ、人にはそれぞれ生きていく上で、大切にしなくてはならないことがあるのだ。それは効率や都合で計れる物じゃないんだよ。そして、それと向き合うか否かは個人の自由なんだ。だから、俺は自分の意思で自由に空を飛べるモーターパラグライダーで飛んでいる。
「ベースにサポートがいた方がいい」との意見もある。それも分かる。アウトドアでの活動は一人と二人とではその効率と危機管理は雲泥の差がでる。でも、俺は自由でありたいのだ。フライトに関して、もう一人の都合を飲み込むことはできない。俺は、思い切り飛べるときに飛びたい。だからその時を待つ。一人で何日でも待つ。そのアクションを誰も干渉することは許されないのだ。ちと、深刻な話になってしまったわい、スマン。ただ、その時のために日々を送っている。
テレビ局と仕事してた頃。地上にはスタッフが何人もいた。飛んでる身としては心強かった。嫁も初めの頃はいた。上空と地上とで無線でやりとりして、どこかに不時着したらレスキューを開始してくれる段取りだった。それを一人で飛ぶようになった。とたんに背負うモノが大きくなり、飛行距離を出せなくなった。ベースに帰還できなかったときのことを考えていたのだ。それから5年ぐらいたっただろうか。その間「何を恐れているのか」「自分はどう在りたいのか」そのことを徹底的に考え抜いた。その結果、恐れの一つ一つを潰すことに成功した。納得のいく対策をしたならば「やるしかない」との心境に至った。そして「自分がどうありたいのか」が明確になったとき、飛びの自由度がグンと上がった。
そして、撮った動画そのすべてをシェアする今の活動にシフトしたとき、また変化は起きた。飛行距離を出せるようになったのだ。その心境は、どこに着陸したって不時着しようが、人はいるさ。仲間もいるぜ。人類皆兄弟だぜ、てな感じだ。一人で抱え込んでいたら、こんなフライトできない。でも今は仲間がいる。「まだ見ぬ仲間が生きる空間を撮っている」。そう思うとどこへでも飛んでいける心境になっていた。
精神論ですまんの。ここらへんが整理されないと飛んでいけないんだわな、俺は。セスナや曲芸飛行家などパイロットは年寄りが多いんだよね。それは空は経験とさらには精神がものをいう世界だからだろうなって思ってる。ちっと嫌みな登山家チックな話になってしまったが、今日だけは許してな。ビッグフライトが控えてるんで、ちと整理してみたわ。テーテッテレ~!って、最後だど盛り上げとこっと!
Have a nice day !!!
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