空への思い 



〜大地のストーリーと天からのイメージを結ぶ〜
 広い空間に憧れ、僕の旅は始まった。
 オーストラリア内陸に広がる砂漠地帯を自転車で走ったり、極北カナダを流れる大河をカヌーで下ったり、熱帯マダガスカルを自転車で走り回ったりした。そのなかでも、やはり極北の川の自由な空間が好きで、アラスカやカナダへ通うことになる。

 初めは雄大な極北の川に憧れて、自分自身の力でキャンプをする充足感に満足していたが、旅を重ねるうちに、僕の旅に現地に生きるデネインディアンやマッケンジーイヌイットが登場してきた。彼らの話を聞くうちに、今まで見て感じてきた極北の大地の景色が変わって見えてくるようになった。風景に彼らのストーリーを重ねると、これまでの世界がぐっと奥行きと幅を持って見えてくるようになったのだ。それから僕は、川に寄り添って生きる人々の物語と川の写真を組み合わせて極北の世界を表現したいと思い、独学で写真を学び始めた。伝統的なデネ・インディアンの生活を体験するため、フィッシュキャンプに滞在し共同生活を送った。北極にいる白オオカミを求めツンドラの川を旅したこともあった。
 ストーリーはどんどん増えていく。けれども、いくら川の写真を撮っても満足できるものはなかった。川の流れがあって、そこに生きる人がいる。景色単体を見るのでなく、彼らの生活単体を見るのでもなく、そのふたつが融合した世界観のイメージが欲しいのに、それが表現できないもどかしさを感じていた。

 そんなある年、極北の川旅で、マッケンジー川のほとりに現れたベアーロックという450mの岩山に登ってみた。岩の向こうの世界を覗いてみたい、そんな動機だった。ところが、その山頂から眺めたマッケンジー川の流れは、なんと、まさに僕が体感、表現したい世界だったのだ。
 今までの景色はカヌーの上から見える水面50センチの世界だった。それが高度を稼ぐと川の景色が立体的になり、景色が奥行きをもって浮かび上がる。この景色こそ、僕がまさに欲しかったものだった。これこそが川に寄り添って生きる人々のストーリーと結びつくに値するイメージだとひらめいた。

 それからは、川下りの途中に丘があるとすぐに駆け上り、川の姿を高台から眺めることを繰り返した。何度も何年も。ところが、極北の川は限りなく平らな大地を流れる。高台はほんの一部分にしかなく、何度も悔しい思いをすることになった。ストーリーと合体させるイメージには常に高度が必要なのだ。決定的な解決策が見つからないまま、2002年の極北行きの予定が迫ったある日、僕はモーターパラグライダーという乗り物に偶然出会った。それは平地から離陸し、自由に空を飛べる乗り物で、高度も思いのままに上げることができる。さらに僕一人でも持ち運べ、カヌーに載せることもできそうだった。
 「そうだ! これでマッケンジー川の上を飛べばいいんだ」




 今までの人生で自分で空を飛ぶなど夢はおろか考えたことはなかった。だけど、自分の求むイメージを掴むには自分で飛ぶしかない。周囲には無謀と言われる決断だったが、空からマッケンジー川を望み、生きて帰ることだけに目標を設定し、猛トレーニングの末の2003年の夏、僕は単身カナダへと旅立った。北極海へ流れ込む全長1800kmのマッケンジー川にモーターパラグライダーを持ち込んだのだ。
キャンプ道具、一か月分の食料、撮影機材、それにモーターパラグライダーをカヌーに積み込み、マッケンジー川を一人で下る。空から川を眺めたいポイントにカヌーで漕ぎつけ、ベースキャンプを張る。そして、最高の風と光が来る時間を待ち、ベースキャンプから離陸し、エンジンパワーをかけてどんどんと高度を上げ、 マッケンジー川の流れを空から眺めた。




 空からの眺めは、まさに僕が感じたい表現したかった世界だった。
 空を飛ぶと同時に、大地のストーリーを表現するに値するイメージを手にすることができた。
 ストーリーが生まれる大地を空から撮る。自分の表現スタイルを手にした瞬間だった。

                                             October 2003 多胡光純

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